猫がお酒の瓶倒して中身ガーってこぼれてあらゆる機械が全滅する感じで。
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映画企画に対する所信表明。
2008年02月10日 (日) | 編集 |
私は映画が嫌いである。
映画は私を二時間近く拘束する。
映画は見終えた後も尚、私を拘束する。

下手をすれば映画を見終えた後、その映画をずっと忘れることができないかもしれない。
現実の出来事が「あの映画でこんなシーンあった」なんて思わされてしまう。
これが拘束でなくてなんだというのか。
最悪の場合、全く初めて目にする光景にもかかわらず「映画みたい」などと形容してしまう。
そんな光景の映画は見たことがないのに、それ以前にそんな映画があるのかどうかすら確かではないのに、なぜ「映画のような」という装飾語は全てに適用され得るのか。
明らかに映画は調子に乗りすぎである。

特に私が言いたいのは、なぜ大人は映画を観たがるのかということだ。
そしてなぜ狙ったかのように金曜日の夜を選ぶのか。
金曜ロードショーの前に映画を一本観ようとするそのハングリーな精神はどこで培われたのか。
映画のこの依存性や常用性は麻薬と同じではないか。
ただちに映画の製作は禁止されるべきである。

まして、映画は大人を子供にする。
子供の私がドラえもんを観たがるのを横目に、大人はビデオの再生ボタンを押すのだ。
このとき、大人は確かにジャイアンと同じような目をしていた。
お前のテレビは俺のもの、俺のテレビも俺のもの。
映画ばかり観ていると確実に頭が悪くなるという証拠である。
なぜ私にドラえもんを観させないのか。

そんなわけで私は映画が嫌いだ。
でも映画についてレビューするのは面白いかもしれない。
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